甲府城の敷地は舞鶴城公園として整備されている。
- 築城:1583年頃 安土桃山時代〜
- 廃城:明治初期
- 天守:現存しない
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明治時代の廃城により、江戸時代以前より現存する建物は敷地内には存在しないが、門や櫓が徐々に復元されている。
1583年頃に築城開始。
本能寺の変で織田信長が没した直後に築城が開始されたと言われている。一説によると徳川家康によって築城が計画されたとも。
豊臣秀吉の支配下時代に完成し、豊臣系の築城技術が用いられているそうだ。
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天守台の様なものはあるが、天守は現存しない。
天守がどのような形だったのかの資料がないため、研究者も頭を悩ませているそうだ。
江戸時代に作成された伊能図には甲府城のイラストが描かれている。
南東から俯瞰した様子に見えるが、この時代の天守は3層だったのだろうか。
![府中の御城](https://ironihsoy.com/wp-content/uploads/2020/10/64E69C4E-3457-4E4B-97CD-633314572B55-996x1024.jpeg)
![](https://ironihsoy.com/wp-content/uploads/2020/10/B6563F14-BBB5-4BE6-82F5-240B18BD7357.jpeg)
天守台からは見晴がいい。
天守台は四角形ではなく、真ん中がくり抜かれ北側が少し広がった独特な形状をしている。
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敷地にある整った立派な石垣は見応えがある。
野面積みがとても美しい。
近代的な、威厳を示すために設計されたお城のように感じた。
ここが戦の場になったことはあったのだろうか。
SOY-MAP
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